
2016.12.22
釣道楽屋 サバロ
国内唯一Fuji 全ガイドが揃うプロショップ
取材店:日本橋 釣道楽屋 サバロ
Voice:助川博也(SUKEGAWA HIROYA)
魚釣りを大きくふたつに分けるとしたら、海水と淡水になる。魚釣りとはおもしろいもので、このふたつをさらに分けようと思うと、突然数えきれないほどの広がりを見せる。単純に釣りの対象となる魚の種類が多いということが理由のひとつなのだが、それだけではなく、釣り人それぞれの魚釣りスタイルがあるからなのだろう。
なぜこのように三者三様の魚釣りがすべて成立しているのか? 理由はただひとつ、「すべての魚釣りはおもしろい」からだ。
「魚を単に獲るだけでしたら、それは魚釣りではなく、漁の手段ということになりますよね」と話すのは、日本橋 釣道楽屋 ロッドビルディングショップ サバロの二代目社長を務める助川博也さんだ。「魚釣りをするということは、魚を獲ることではなく、『自分の釣りスタイルで、魚釣りを楽しむ』ということだと考えています。だからどんな魚釣りも体験してみることが大切です。自分のスタイルに合う魚釣りが必ず見つかるはずですから」
助川さんがサバロと出合ったきっかけは、「世界のEIZO」とまでその名を世に知らしめた丸橋英三さんとの出会いから始まる。ふたりはいわゆる師弟関係だ。ロッドビルディングによって、より深く魚釣りを楽しむスタイルを確立し、二代にわたってその魅力を発信し続けるプロショップサバロにて、ロッドビルディングの世界についてお話を伺った。
―これだけ充実したロッドビルディングのパーツを揃えているショップは、国内ではサバロだけだと思いますが、どのようにして開業に至ったのでしょうか?
助川博也(以下、助川) サバロの開業は1996年の8月だったと思います。その前は、「太陽」という名前で有楽町に店がありました。私が丸橋さんと出会ったのは、その店でしたね。もう20年以上前です。巨大なターポンを釣り上げた丸橋さんの写真を雑誌で見て、どうしても会いたくて訪ねたんです。太陽はいわゆる釣具量販店でしたけど、丸橋さんはその頃からすでに、ロッドビルディングのアトリエ的な場所を店の2階に作っていました。
丸橋英三(以下、丸橋) 太陽は20年以上続けたし、当時は今よりもっと魚釣りがブームだったこともあって商売は順調だったよ。だけど自分自身の魚釣りがどんどん進化して行くにつれて、自分の趣味趣向をもっとしっかり表現できる商売をしたいと思うようになったわけ。そのきっかけのひとつが、日本近海の魚が極端に減ったことだね。いくらいい竿を持って魚釣りに行ったところで、魚がいないんじゃ釣れるわけないじゃん。量販店をやっている以上、どうしても客には売りっぱなしになっちゃう。本当はもっと店と客がコミュニケーションを取ってさ、「魚釣りを楽しむってことは、漁とは違うんですよ」って、「釣った魚を無駄にしたら、魚はどんどんいなくなっちゃうんですよ」って、ちゃんと教える責任があると思ったんだよ。いわゆる『魚釣りの本質』だな。量販店で手軽に買える竿でも魚釣りは楽しめるけど、自分だけの竿を持つと魚釣り自体の楽しみ方がガラッと変わる。大切なのは、魚を釣り上げるまでの過程すべて楽しむことであって、釣果はその結果なの。そうじゃないと魚釣りの世界がどんどん狭くなる。だから、魚釣りの本当のスタイルを見つけられる店として、ロッドビルディングショップのサバロをオープンしたのよ。
―サバロにはどんなお客様が多く訪れますか?
助川 長年愛用された竿の修理やリメイクのお客様が多いですね。ガイドの単純な付け替えから、竿全体のリメイクまでさまざまです。時には、渓流の餌竿をテンカラ竿に変えたいというお客様もいらっしゃいます。その方は、リメイク竿の仕上がりに大変ご満足していただいたようで、さらに2本の竿のご依頼をされました。無論サバロでは、特注のブランド「イクシーク」の製作を行っていますが、修理やリメイクは、どんなブランドの竿でもお受けしています。私が丸橋さんから教わったことのひとつに「お金をいただいてお客様の竿を触らせてもらっている」という想いがあります。世界中のいろんな竿を触ることができるチャンスでもあると共に、私自身のスキルアップにもなっているんです。
―もともと手先は器用なのですね?
助川 実は美術大学を出て、モニュメントなどを作る仕事をしていました。もともと何かを作るのは好きなんです。
丸橋 俺が助川に竿作りを教えたことはないよ。勝手に俺の仕事を見て覚えたんだろうな。助川は、愛想良く商品を売りさばかなきゃならない量販店には向いてないけど、こういう職人的なプロショップにはぴったりの人材だよ。センスもいいし、手先も器用だしな。
助川 (テレ笑い)そんなことないです。魚釣りもロッドビルディングも、すべて丸橋さんに教えていただいたんです。どんな要望にも応えられるということ自体が、ロッドビルダーとしての姿勢だと思いますし、そのことを一番教えていただきました。ただ、一度竿を触ってしまうと手抜きができない性分でして、いつも残業ばかりです。
―助川さんの名刺には、「Fujiガイド全種(当社特注含む)ロットビルディング用品完備」と記載がありますが、Fujiガイドについて教えていただけますか?
助川 丸橋さんがサバロをオープンさせた当初から、Fujiのガイドはすべて取り扱っていたそうです。もちろん今でもすべてのガイドをストックしています。Fujiにはすでに在庫がなくなったガイドでも、サバロに置いているものもありますからね。世界各国の魚釣りを知っている丸橋さんが絶賛するように、Fujiのガイドは世界一の技術を持っていると思います。店でもお客様向けにガイドの比較テストを実践していますが、他社製のガイドとFujiのトルザイトに、同じラインを通して摩擦をかける単純なテストでも、いつも結果は同じです。5〜6回くらいの摩擦で切れてしまうラインが、トルザイトだとなかなか切れないんです。普通車とF1カーくらいの性能の違いがありますよ。
丸橋 三越の高いミカンとその辺の八百屋の安いミカンの違いなんて、俺らにはあんまりわからないじゃん。だけど、トルザイトは誰が見てもはっきりと違いがわかるよ。魚釣りをやっていない人だってわかる。軽さが全然違うんだよ。まさに21世紀の奇跡の発明だって言ってるんだよ! 釣具界ではノーベル賞もんだ。決して褒めすぎじゃないよ。
さぁ、ロッドビルディングを知るうえで、もっとも外せない男、世界のEIZOこと丸橋英三さん。そして彼の愛弟子であり、サバロの二代目社長を担う助川博也さんの魚釣り人生を、全4回のインタビュー形式でお届けいたします。ロッドビルディングのプロショップ、サバロが絶賛するFuji-トルザイトの魅力と、ロッドビルディングから見えてくる「本当の魚釣りを楽しむ」こととは?
次回も乞うご期待ください。
助川博也(SUKEGAWA HIROYA)
1967年、千葉県生まれ。小学生の頃に魚釣りを覚え、大学生の頃から始めたスズキ釣りから、本格的に魚釣りの世界に没頭し始める。大学在学中すでに、ロッドビルディングへの入り口を開き、月刊誌「アングリング」に掲載された丸橋英三のターポン釣りの記事に衝撃を受け、有楽町の釣具店「太陽」に通うようになる。1994年、夢にまで見たターポンを釣りにコスタリカへ遠征し、初の海外釣行を体験。1999年、師弟関係にあった丸橋英三からの誘いを受け、釣道楽屋「サバロ」の店長として勤務しながら、ロッドビルダーとしての腕を磨く。2013年2月、釣道楽屋「サバロ」の経営を丸橋英三から引き継ぎ、二代目社長として就任。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒。1995年、I.G.F.A.世界記録(20lbクラス)をスズキで取得。I.F.F.F.公認CI(フライキャスティングインストラクター)取得。世界のEIZOが認める凄腕のロッドビルダーとして、サバロの看板を担う質実剛健な男である。
丸橋英三(MARUHASHI EIZO)
1949年、銀座に生まれた生粋の東京育ち。本人曰く、物心ついた時から魚釣りを始め、その情熱はいまだ冷めることなく、さらに熱くなっているという。1973年、「サバロ」の前身となる、釣具量販店「太陽」を有楽町にオープン。最先端の道具やスタイルを積極的に取り入れた魚釣りを提唱し、業界に大きな影響を与える。1984年、クリスマス島でキャッチしたロウニンアジ(通称:G・T)で、日本人初となる「I.G.F.A.世界記録(16lbクラス)」を取得。その後も世界各国を釣り歩き、多くの記録を残している。特筆すべき記録としては、35年の歴史を誇る、米国フロリダキースの「ターポン・フライトーナメント(ダン・ハーリーおよびゴールドカップ)」で97〜99年の間、3連覇という史上初の快挙を達成している。これを機に“世界のEIZO”と呼ばれ、名実共に世界トップレベルのアングラーとして名を馳せる。現在、NPO法人ジャパンゲームフィッシュ協会(J.G.F.A.)副会長、磯釣人魚会副会長を兼務。ロッドビルディングショップ「サバロ」の創業者として、最先端の魚釣りを牽引し続ける存在である。